ジロタソの「毎日がパラレルワールド」

心と幸せを探求し続ける50代のおっさんのブログです。

生立ちでの擦り込み

どーも、ジロタソです。

先日、私の友人と久々に会いお茶しながら近況報告交えながら

話しておりましたが、お互い子供の年齢が近い事もあり、

友人の悩みは子供から「毒親」や「親ガチャハズレたわ」と言われる

事が多々あり、その度に怒り心頭でキレまくってしまうと溜息つきながら

こぼしておりました。

最近では「毒親」や「親ガチャ」という言葉が若い子たちの間では

使われているようで、親からしたら

「何を言ってるんだ!誰のお陰で生活出来てると思ってるんだ!」と

怒り心頭になりますわな(苦笑)

その話を聞いていたら自分も母親に対して、幼少期より母親絶対論を

擦り込まれて来たのを思い出しました。

母親絶対論が取れてきたのもつい最近なんです。

 

私はごく平凡な家庭に生まれ、平凡に育ちました。

ただ、父親がギャンブル癖があり、借金をするのでいつもお金に対して

余裕の無い生活でした。

父親はとても良い父親でしたが、子供を喜ばせる手段が物を与える事が

一番喜ぶと思っていたので、今日はパチンコで儲けたから

好きな物買ってやるぞ!、今日は外食だー!と気前が良いと

本来やったー!と子供ならどのおもちゃ買ってもらおーとか、

何食べようかなーとかワクワクするものですが、私はその後の

「地獄」を何度も経験していたので、喜ぶどころか緊張してきてしまい、

父親に疑いばかり抱いていました。

毎回のパターンでこのようなイベントがあると、必ずその後に

ローン会社よりはがきが届き、○月度 キャッシング〇万円みたいな

お知らせが来るのが毎回のパターンだったので、

嬉しいどころか不安と心配しか無く、

母親に「父ちゃんまた借りてないかな?」と聞いていたのを

覚えてます。

そして、数日後にローン会社からはがきが届き、その夜は

強烈な夫婦喧嘩が繰り広げられ、私は妹と泣き叫びながら部屋の隅で

震えていたのを覚えています。

父親はまじめに働きはしていたので、収入はありましたが

収入以上に借金をするので毎月火の車でした。

ある時は数社のローン会社から借りており、利子が利子を呼び

数百万まで膨れ上がっていて、これはもう無理と言うところまで

行きましたが、母親がなんとかしのいで返済の目途を立てて

くるので、この危機も母親のおかげで脱しました。

この時はさすがの母親も「別れようと思う」とこぼしましたが、

借金をするのは自分たちに良い顔がしたい、喜ばしたい一心で

の事だから離婚だけはやめてと泣きながら訴えた事があります。

私は借金をする父親に対して威厳は感じませんでしたが、

嫌いではありませんでした。お人好しの気は良い父親でした。

母親も子供の事を思い離婚だけは避けてくれたんだと思います。

 

このような生活を送っていたので、我が家では母親が

絶対的存在で母親のいう事は絶対でした。

 

母親は若い頃、戦後の米軍基地内の歯医者の助手をしながら

独学で英語を身に着け、その後企業の通訳などの仕事をする

キャリアウーマンの先駆けのような人で、

努力家でもありますが、負けず嫌いでプライドがめちゃくちゃ高い

人なので、当時は男尊女卑の考え方が強い時代なゆえ、

結婚も1度失敗しており、父親との結婚は2度目でした。

お見合いで結婚したみたいですが、母親はいつも好きで結婚した

訳じゃない、あまりにしつこいから結婚したと言っていました。

今思うとこれをシラーっと子の前で言われると

結構キツイよなーと思います💦

 

こんな家庭で育ったので、母親のコントロールも凄かったです。

あれしてはダメ、これしてはダメ、母親の言う事が絶対、

親孝行をしなさい、親不孝者は罰が当たる、人に迷惑を掛けるな、

間違った事は言っていないもののもう完全コントロールです。

ただ、そこまでコントロールされていても借金を乗り越えて

生活出来ているのは母親のお陰だから、母親の言う事は

間違って無いし、むしろ言う事聞かないと罰が当たると思ってました。

なので中、高生くらいの時期でいう反抗期も特に親に反抗した

覚えは無いです。

 

時が経ち、私も結婚する事になり前記のような経済的な理由から

同居が前提ではありましたが、自分の母親は同居しても

嫁さんに意地悪するような人では無いから大丈夫、

頼りになる母親だからきっと奥さんにも力強い味方になると

勝手に思い込んで自己満足してました。

 

奥さんは美容師なので仕事を続けながら結婚生活を送っていました。

同居をしてみてわかる事も多々出て来ました。

でも母親の言わば「擦り込み」が入っている私の言動は、

奥さんからみれば全て「母親寄りの言動」だったと思います。

子供が生まれた時期からそれは加速し、

母親のコントロールが酷くなってきました。

私は奥さんと母親に挟まれ、また会社でもそれなりの立場になって

いたので、求められる業務内容をこなす事でいっぱいいっぱいで

ストレスからイライラばかりするようになり、

毎日奥さんと口論、母親とも口論の日々。

毎日うんざりの日々になっていました。

そんな私に心配そうに声を掛けてくれるのは「父親」でした。

「母さんは昔から負けず嫌いだから絶対引かないからなー」

「母さんには父さんからあまりでしゃばるなと言っとくから」と。

そんな父親の言葉にも心の中で、「あんたが借金ばかり作るから

同居せなあかん状況なんだろ!」や、「女房に頭も上がらんくせに

偉そうな事いうな!」と反抗心の塊になり、自分のストレスを

父親にぶつけていました。

 

そんなある日、仕事で取引先に行き仕事仲間と昼食に出かけ

店の座敷で座っていると、今まで忘れていたあの二度と

感じたくない感覚が襲ってきました。

突然の手の震え、強烈な動悸、血の気が引く感覚、息が出来ない

恐怖心。私はそのまま倒れ込み、仕事仲間が病院に運んでくれ

ましたが、それ以来その不安感に苛まれる事になります。

パニック発作の再発の始まりです。

 

今回はこの辺りで、ではまたお会いしましょうー!

 

 

 

ラーメン屋で出会った素敵な親子

はい、どーも ジロタソです。

ここ数日で一気に気温が下がり、寒暖差に体調がついて行けてない感じ

ですが、心の状態は穏やかでありがたいです。(^^)

 

私は以前のブログにも書きましたが、おデブちゃんだったので

自分には女性と付き合う、結婚をするは無縁だと思っていました。

でも、子供の頃から赤ちゃんが大好きで、いつか自分もお父さんになり

家族が欲しいなーと願望を頂いていました。

私が減量する前、たまたま入ったラーメン屋で若くておしゃれなお父さんが

2歳くらいの娘さんとラーメンを食べに来ていて、その光景を目にした時、

何故か無性に、「この親子関係が自分の理想!」と感じたんです。

そこには奥さんの姿は無く、お父さんと娘さんの2人でした。

でも私には理想の親子像でした。

私にはこのお父さんは奥さんに自由な時間を作ってあげる為に

今日は自分が子守りをするから息抜きしておいで、と奥さん孝行して

自分は娘さんとの時間を楽しんでいる光景と勝手に解釈しておりました。(笑)

 

この当時はまだ今のような考えでは無く、男は仕事、女は子育てが

普通という世の中でしたので、お父さんが子守りをしていると

シングルファーザーもしくは、「かかあ天下」、「完全に嫁の座布団」

と解釈する人の方が大半だど思います。

ですが、私はむしろお互いを思いやって子育てしているんだなーと

感じたんです。

何故か、そのお父さんの顔が満面の笑みで輝いていたからです。

そのお父さんの笑顔からは幸せのオーラしか感じませんでした。

今でも鮮明に覚えています。

 

この日から、私は「かっこいいお父さんに俺はなる!」と

心に目標と夢を持ちました。(笑)

 

この親子を見て自分もこう言うかっこいいお父さんになりたいという

具体的な目標が出来たのも減量が成功出来た要因だと思います。

 

そんな私も28歳で結婚しました。

奥さんは美容師さんで今でも現役で美容師さんしてます。

子供は2人授かりました。上が娘で下が息子。

 

奥さん美容師さん、娘誕生、お父さん育児協力、

そう、私の夢は叶っちゃってる訳ですよ。

あの時に見たラーメン屋さんの親子のように娘連れてラーメン

食べに行ける訳です。

この時は「引き寄せの法則」や量子論など全く知りませんでしたし、

知っていたとしても聞く耳も持たなかったと思います。

努力だけが物事を実現できると思っているので(苦笑)

 

奥さんと出会えて結婚出来たのも自分が努力してきた結果だど

思っていましたし、結婚を機にマイホームも建てましたが

これも努力して得たものだと思っていました。

 

ただ、今思えばあの日ラーメン屋で見た親子の光景を

「素敵な親子」と解釈しそれを目標と夢として努力が出来た事は

努力も大事ですが、それ以前に「素敵な親子」と感じた自分の

感受性を褒めてあげたいです。

 

しかしながらこの時はまだまだ自分の理想像にしか過ぎない、

「ラーメン屋の素敵な親子」も自分の理想なだけで

残念ながら理想は長続きしないんですよ。

娘の子守りもいつしか事務的になり、「俺も働いてるんだぞ!」、

「俺の時間も作る考えないのか?」と自己中な考えが優位になりだし、

我が先行するようになりました。

当然奥さんとの口論も多くなり、家庭の雰囲気が良くない時も

増えてきました。

それに輪を掛けて嫁姑の問題などいろいろ各々の

「解釈の押し付け」が激しくなりました。

 

我が家は結婚当初から私の両親と同居をしており、

理由も両親の経済状況や私の生立ちからなどいろいろと事情は

ありましたが、それを了承してくれた奥さんの想いがまだ

当時の私には深く感じ取れず、うちの親は大丈夫、同居も

問題無くやっていけると安易な考えでおりました。

 

今日はこの辺りで、次回はうちの親は大丈夫を作った根拠は

生立ちの中での潜在意識への擦り込みについてお話します。

 

ではまたー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

痩せて得たもの、失ったもの。

はい、どーもです。ジロタソです。

前回は私の減量成功話をさせて頂きました。

正直痩せたことで人生180℃変わりました。

おしゃれな服が着れる。これはほんとダイエッター方が一番望まれている

事だと思います。今はビックサイズな洋服もたくさん売ってますし、

海外から簡単に購入する事も出来ますが、私の青春時代は

うぉ!かっこいい!欲しいっ!って思ってもせいぜいXLサイズ

くらいまでしか売ってなく、それでも欲しくて無理やり来てたので

ナイキのTシャツなんか、スウッシュマークが伸びてしまって、

それフェイク品?と聞かれていたとても悲しい思い出があります.....

そういう事もあって、減量して体型が変わっておしゃれが出来るように

なった事は、2度目の人生を味わっている感覚で毎日が新鮮でした。

 

こうして得たものもたくさんあり、自分に自信も出て心身共に

絶好調ーーっ!の時期でした。

仕事でもモチベ上がっていて、今の自分は何でもできる感じしかなく、

いろいろと任されて嫌がらず取り組み上司からも見込まれておりました。

こうして減量がキッカケで得たものも多々ありましたが、

失うものも多々ありました。

今思うと失ったものの方が大きかったと思います。

それは、「心」です。

穏やかな心は全くなくなっていました。

減量を成功させた事で完全に慢心になっており、パニック発作

つらい経験も忘れて、努力しない人を見下し、

飲み会とか誘われても、「ごめん用事あるんでまた誘ってね」と言いつつ、

胸中は「好きなだけ飲んで食ってして自己管理できんやつとは付き合わん」

と、今思うとめっちゃ最低の人間ですやん💦

もう、ブログ書いてて恥ずかしくなりました。反省🙇

でもね、人間ほんと慢心になってると気付かないんですよ。

自分が一番正しいと根拠なき正義を押し付けます。

だから、1人、また1人と友人も疎遠になっていきました。

それでも、「縁がない奴は俺から離れて行くだけだ」と思ってました。

ってか、ほんとムカつく奴ですな、我ながら最低ですやん!

このまま、歳取ったらと思うとぞーーーっとしますわ。

まぁこの経験があって今の私がいますので否定はしませんです。はい。

 

それでも友人が疎遠になっていくのは寂しいものです。

寂しいですが心の中では意地を張っていたんでしょうね。

今思うと私が減量して得た幸福感はアドレナリンの分泌による

興奮的喜び、優越感が近い物だと思います。

ですので、本当の意味で自己承認出来ていなくて

他人に承認要求を求めていたんだと思います。

痩せたことで「努力家だね~」、「意思が固く素晴らしいね」など。

今までおデブちゃんで劣等感の塊みたいだった自分が、痩せた事で

認められて、ようやくみんなと一緒だみたいな自己満的な

感じだったのかなーと今は思えます。

 

外見は減量で変えたけど、心って本来の自分に気づく事が本当に

困難なんですよね。

減量を頑張った自分は褒めてあげたいです。

ただまだこの時は心に関しては全く無関心でした。

努力で何とでもなると思い込んでいたので。

 

これから月日が経ち、27歳で現在の奥さんに出会い、

28歳で結婚し、ごく普通な幸せな家庭を築きましたが、

これから私の心を整える為のミッションが始まる事を

有頂天な私はまだ気付いていない事をお伝えし、

今日はこの辺りで失礼致します。

 

ちなみに奥さんに減量前の写真見せたら、

「この時出会っていても付き合って無かったわ」と.....

あのー、まぁ、真顔で言われてもね...とても微妙な心境ですね。

(苦笑)

 

はい、思い出して少し凹みましたが。 

 

ではまた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

努力嫌いな私が減量出来た理由

どーもジロタソです。

今日は私が減量に成功した話をしたいと思います。

前にも少し書きましたが、私はほんと努力や継続が出来ない人間でした。

嫌なことは避けて通りたい、楽しい事、好きな事だけやる!

という事に徹していました。

今思えばこの精神状態めちゃくちゃ最高じゃん!と思います。(笑)

めちゃくちゃおデブちゃんで彼女欲しい年頃になっても

典型的な「花より団子」でしたわ。

 

でもある日突然、めちゃくちゃ激しい動悸と呼吸困難に襲われて

「し、し、死ぬーーーーっ!」ってマジで死の恐怖を感じ

救急車で病院運ばれました。

 

精密検査しても異常なしでそのまま帰宅出来ましたが、

もうすぐ死ぬ、また発作起きる、ヤバいヤバい💦......

こんな状況が1年続きました。

はい、これ完全にパニック障害です。

ですがその当時は情報も知識もなく、おデブちゃんだから心臓に

負担が掛かっていて絶対心臓悪いやつだわ、としか思って無くて

毎回循環器内科通って検査して「異常無いよ」の繰り返しです。

異常無いと言われてもその時だけ安心感を得て、すぐにまた

予期不安が襲ってくるし、怖くてどこへも行けないし、

めちゃくちゃしんどい時期でした....😭

 

絶対おデブちゃんだから心臓悪いんだ、なら少しでも痩せれば

発作も起きないかな?

この思いが私を減量に導くキッカケとなりました。

 

この日から減量が始まるのですが、人間の思い込みってすごい

パワー発揮するんですよ!

死を意識した人間はめちゃくちゃ強いですマジで!

パニック発作では死にませんけどね、この時は知らないもんで(笑)

2年で120キロ→60キロにしました。やったりました!

 

逆にのめり込み過ぎて痩せすぎてヤバかったです💦

多分単純に思い込み激しいタイプです。(苦笑)

のめり込み過ぎて意識が減量に完全に傾いていたのでパニック発作

まったく起こらず、痩せた事で心臓への負担が無くなり、

完治したと勝手に思っておりました。

でも良かったんですよ、結果痩せる事で自分に自信が沸き、

「花より団子」が「団子より花」になり、

(でもフラれ続けましたけど....良いんですっ!アクションが大事!😭)

今思えば自己肯定の塊な時期でした。変なナルシストでした(笑)

 

小さい頃からおデブちゃんだったので、自分の中で

自分はおデブちゃんだから運動も苦手、女の子からもモテない、

おデブちゃんだから仕方がないという無意識の領域で

「自己否定」をしていたんだと思います。

 

減量をキッカケに人間やれば出来る!努力は力なり!

の今までとは真逆の人間にはなりまして、その当時は

やる気に満ち溢れ、充実した日々を送っていましたが、この時は

まだまだ、青二才な若造だったのでお天狗ちゃんになって

慢心になってたんですよ。

これが今後自分を長い事苦しめる事になるとはこの時は

思ってもいなかったですが.......。

 

今回はこの辺りで、次回は減量成功したけれど、

失う物も大きかったお話をしたいと思います。

 

あっ、減量成功と言いつつ、文字だけじゃなーっ?って

思われる方もお見えになると思うので、ちらっと画像も載せますね。

 

それではまた!

 

 

 

 

20歳の頃120キロ

 

 

 

現在51歳(腹筋とリバウンド無しはプチ自慢(笑))

 

 

本日よりブログデビューでございます!

皆さま、お初にお目にかかります。

私、ジロタソと申します。

御年51歳。

気は若いつもりですが、体力の衰えには逆らえないのを感じております。

さてさて、こうやって今ブログを書いてはおりますが、

もともとこの手の物はほんと苦手意識が強くて、ずっーと躊躇してました。

発信したい事は山ほどありますが、とても歯痒い思いでした。

やりたい事なら1歩踏み出そう!ってな感じで今ブログ書いてます。

やり始めたら結構簡単にできるじゃん!自分才能あるかも!(笑)

ちょっと調子乗ってしまいましたが、でもこの自分認める事って

ほんとめちゃくちゃ大事なんですよー。

これから私のいろいろ発見した事や気付きを発信していく上でも、

この「自分を認める」ってのがほんとキーワードになってきます。

今日のところはこの辺りとして、次はプロフィールにも書きました、

めんどくさがり屋で努力が大っきらいなこの私が

努力の塊のような減量にトライし、成功したのかなどをお話したいと

思います。

それではまた!^^